第四章 フリーダイビングの意味するもの
ひとりだちの時期この座間味ツアーの前後から、映画「グランブルー」がリバイバルヒットし、また、いわゆる『イルカブーム』などの影響で、ジャックは非常に多忙になり、一緒にトレーニングしたり、遊ぶことが難しくなってきました。私は「今はあんまり彼にくっついて歩く時期じゃないんだな」と感じ、それから付き合いは、手紙のやりとりや、年に数回、他の友人も交えて会うというような形に変わっていきました。
それまでに何回も一緒に海に行って、伝えてもらったこともあったから、ある程度、これからはひとりで歩いて行かなくては......と自分で思ったというのもありました。また、1992年にはジャック自らが名付け親となってくれた、ダイビングショップ《BIGBLEU》をオープンし、いろんなことが動き始めた年でもありました。そんなときでもあったので、「いつか、ジャックの忙しさが一段落してから、またのんびり、ゆっくり、彼の老後の遊び友達になりたいな」などと思っていました。
そして、この間に私は競技としてのフリーダイビングと出会います。きっかけは、ダイビングワールド誌に連載されていたフリーダイビングに関するニュース記事です。その記事の中では、《KAKU企画》の早川信久さんが、イタリアで近々フリーダイングの世界大会が開催されることや、ウンベルト・ペリッツアーリが主宰する《アプネア・アカデミー》に関する情報などを紹介していました。そこで、また私は行動しました。
和歌山の串本に出かけた帰りに新幹線を途中下車し、名古屋の《KAKU企画》を訪ねました。「ウンベルトから大会に日本人チームを作っておいでと言われたが、どうしらよいものか」と悩んでいる様子でした。そこで私は「それなら予選をして、日本代表を決めて皆でいきましょう。私も予選に出ます」と提案しました。それが《ジャパンアプネアソサイエティ》通称JASを立ち上げるきっかけとなりました。そして、98年の「第2回フリーダイビングワールドカップ」に参加した。
すべての生命に対する愛私がフリーダイビングのワールドカップに出る際に、テレビの取材を受け、ジャックにテレビ局の取材が行って応援のコメントを求めたようなのです。でも、そのときジャックは「フリーダイビングは競争じゃない。競技はやめろってメグミに伝えてくれ」と、それ一辺倒。暖かいメッセージを期待して撮影に行ったテレビのスタッフは興ざめしたでしょうね。結局、ジャックのコメントはオンエアされませんでした。
でも、ジャックがフリーダイビングの競技に対して否定的なことを言った意味は、私にもわかる気がします。彼自身も、最初のころはエンゾとお互いに張り合ったりしていたわけですから、競技の楽しさの要素も知っていたと思います。その次の段階では、潜る目的が、人間の能力というかブラッドシフトなど科学的なデータを提供することへ変化していきました。自分が潜って実験台になることを積極的にやったという話は有名ですし、私も直接彼から聞きました。
それから、もっと晩年になってくると「潜る」ことは彼にとって、哲学的、精神的な意味を持つものになっていったのだと思います。講演などで、海に対する思いやいままでの経験を話すとき、毎回、最後は哲学のような話になっていました。よくジャックは「潜ることは、海と一体になるということ。それはイコール宇宙と一体になること。そして自分自身が海そのものであり、宇宙そのものであると感じる。だから、全体の一部である自分に気づいたら、人を蹴落として自分のためだけに行動したり、名誉やお金に流されたり、戦争や争いで傷つけあったりすることは無意味だと気づくはずだ」という意味のことを言っていました。「海に潜る」ことは、物質欲、金銭欲、名誉欲とかそういうものを超えた、人間愛とイコール、宇宙のすべての生命に対する愛を感じる経験である。彼は人生の間にフリーダイビングを通じて感じたこんなことを、一生懸命伝えようとしていたのだと思います。
「競技はやめろ」と言ったジャックですが、その裏には、「潜水の記録を追い求めることに夢中になるのは危険だ」ということと、それよりも「フリーダイビングの持っている哲学的な深さ、精神性の高さを大切にしてほしい」という意味があったと思うのです。
世界大会ではぐくまれる人間今のフリーダイビングの世界大会は、もちろん、「記録を伸ばす」という目的を通じてですが、けっして、ジャックの考える「純粋な愛の体験」や「心と心のつながり」をないがしろにしているわけではありません。むしろ、参加した私自身の体験としては、後者の方を大きく感じたとも言えます。 世界大会は、30カ国以上から参加者が集まって一週間を共にします。その間に、なぜか、全然違う国の人たち同士がライバルであるはずなのにすごく仲良くなれるのです。「フリーダイビングが好き」、「海が好き」というただそれだけなのに、国籍や人種を超えたコミュニケーションが可能になるんです。
ウンベルト(フリーダイビングの世界大会を呼びかけ、実質的に企画・主催もした)もジャックの弟子だから、ジャックの考える「海に潜る意味」を知っていて、それを実現する場を造り出そうとしています。大会は、記録という目的もあるけれども、すべてを記録や順位にとらわれるのではなく、フリーダイビングを通じて世界中の人々と仲良くなる、人間愛を感じ育てる場なんだと私は捉えています。