第二章 トレーニングパートナーになる

トレーニングジャックさんと私の関係は、師匠と弟子というよりも「トレーニングパートナー」という言葉がふさわしい。あこがれだけがあって、フリーダイビングを彼に付いてて学ぶという意識はなかったのです。

私が軽い気持ちからジャックに一度だけ「教えて欲しい」と言った際に、彼は非常に深刻に思い悩み、「人に教えることは難しい。自分は教えることで辛い思いもしてきたから......」と言葉を濁したことがあったのです。ジャック自身も師匠として私に伝授するつもりはまったくなかったようです。

しかし、彼とトレーニングを重ねる中で、のちに日本を代表するフリーダイバーとなる私の中には、呼吸法をはじめとするトレーニングの重要性、安全管理の大切さなどが徐々に培われていきました。また、無意識のうちに、自然に対する謙虚さ、畏怖の念などもはぐくまれていきました。

ジャックには、海でもプールでも、水に潜る前に必ず行う一連の儀式がありました。まずは、海辺やプールサイドに座って精神を集中し、腹式呼吸を数回。そして、ヨガを取り入れたストレッチ。それから水に入るのですが、いきなり飛び込むことはなくて、両手で水面を叩くようにして水しぶきをあげ、それを徐々に浴び水に体を慣らしてから、ようやく全身を水に漬ける......。いちいち、「こうしろ」とか、「こうやった方が効果的」などというのはなくて、自然に一緒にやってジャックの方法を学んでいったというか、それをジャックが許してくれていたという感じでした。

また、トレーニングを通してジャックの自然観や宇宙観に触れることもありました。彼は散歩がとても好きで、とにかく部屋の中に閉じこもっているのが嫌いなのです。行く先々で「フレッシュエアーを吸いに行こう!」と言いながら、時間をみつけては散歩に出ました。海のそばとか、森とか、自然がいっぱいあるところを歩いて、そこに流れる空気を吸い込むのです。歩きながら、ときには立ち止まってそこで深呼吸したりしました。

私は英語が堪能でないこともあって、呼吸法やヨガも、深い意味まではわからなかったけれど、「片方の鼻の穴から吸って、逆から出すんだ」とか、おへそのあたりに手をあてて、「からだの中心に宇宙のエネルギー、プラナを取り入れるんだ。よ~く溜めるんだぞ」というようなことを、その場その場で伝えてくれました。

普通の人。だからこそ、すごい最初の頃のトレーニングで、特に強烈に覚えているのは、中野の《TAC》のプールでのこと。水深15mのダイビングプールに入る前に、ジャックは普通の競泳用のプールを潜水して往復していました。行って帰って往復50m。それが、見ていたら50mの少し手前で、ジャックがプハァ~ってすごく苦しそうに上がったのです。「あ、ジャックが苦しそうな顔してる」見ていた私はすごくびっくりしました。

私にとってジャックは神様とか仙人のような存在でしたから、当然彼には、生まれたときから、他の人が持っていないとてつもない能力が与えられているのだと思っていたのです。でも、その瞬間の彼の顔を見て「ジャックって普通の人なんだ」と気がついたんです。彼は、もともとは私たちと同じ普通の人。肺活量も同じ、体力も同じぐらい。その彼が100m以上潜った。これは、ものすごい努力と集中力の結果なのです。そのことに気づいて、改めて、彼を尊敬するようになりました。

いきなり潜るなんてデンジャラスだ!もうひとつ、このプールでの思い出はジャックに初めて怒られたことです。15mのダイビングプールで練習することになり、私も一緒に水に入りました。で、潜る前に、ジャックが「ぜったいに最初から底までいっちゃだめだ。徐々に少しずつ深く潜るようにするんだ、危ないから」と言ったのです。それにもかかわらず、私はちょっと潜ったら「行けそうだ」と思ってスッと底まで行っちゃった。そうしたら、上がってからジャックにものすごく怒られました。「ダメだって言っただろ、危ないじゃないか。ボクはいろんな危ないシーンを見てきた。いきなり潜るなんてデンジャラスだ」って、きつく言われました。

そのときは、なんでこんなに怒られるのか分かりませんでした。でも、自分がフリーダイビングを教える立場になった今は分かります。私は、そのころ、ジャックに会うたびにドキドキして気分がいつも上ずっているような感じでした。あのときの私はジャックと潜ることで、興奮して平常心ではなかったために自分が危なくないかどうか冷静に判断ができる状態ではありませんでした。そんな私をジャックは見抜いていたのです。

ジャックはとにかく、トレーニングの重要性や安全への配慮に関しては、とても真剣でした。トレーニングは常に継続しなければならないということ、また、無理をしないこと、ウォーミングアップをして徐々に体を慣らしてから潜ることなどを常に語りました。また、ことあるごとにフリーダイビングの危険性について厳しく話し、中でも、以前の教え子がブラックアウトを起こした話などは、よく聞かされました。

真摯なまでの安全管理 92年か93年頃、座間味にジャックと他のお客さんも一緒に潜りに行ったときのことです。ある日、とくにトレーニングというわけではなく、普通に潜ったり上がったりスキンダイビングをしていると、彼が水面からジ~ッと私のことを見ているのに気がつきました。水中に潜るそぶりもなく水面に顔をつけた状態で、とにかく、私が潜っている一部始終をジ~ッと見ていました。

ジャックが水中に潜るときは、私は「どうやって潜るんだろう」と彼のことを水面から見たり、それから、ちょっとついて行ったりしていました。でも、ジャックが潜ると長いじゃない? 私も一緒に行きたいと思ったけれど、最初から一緒に潜ると途中で上がらなくちゃならない。だから私はジャックが潜って、もう、いいかなというタイミングで水に入り一緒に上がってくる、そんな潜り方をしていました。でも、とにかく私が先に水に入ると、ジャックは潜らずジ~ッと見ている。私は「なんであんなに見るのかな」と、不思議に感じていました。

そう思いながら、私は水深15mぐらいの砂地の水底で大の字になって水面を見上げ、ポケーッとしてから、ゆっくり上がるというのを繰り返していました。何回目かに浮上したとき、ジャックが「メグミ、今、危なかっただろう」と言ったのです。

実はそのとき、水面に上がったときにちょっとだけフワ~ッとイイ気持ちになっていたのです。グラつきはしなかったけれど、これ以上やったら危ないんだろうなって自分にわかる程度。それなのに、ジャックは見抜いていて「危なかっただろう、オレにはわかるんだ」と言うので、私はすごくびっくりしました。恥ずかしい気持ちと、「なんでわかったんだろう」という気持ちとで。後から思うと、ジャックは私が「危なくなるかもしれない」と思って、水面からずっと安全管理してくれていたのです。今となっては、私も(生徒やチームメイトに対して)安全管理をする立場になったので、わかるようになりました。

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